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なぜ、「理」の研究をしようと思い立ったのか

父の教え  

 平成4年に65歳で父が亡くなりました。その父から「天理教には『元の理』という大変すばらしい原典がある。これをしっかり勉強することが大切だ。」ということを聞いていました。父は48歳で道一本(仕事を辞め、天理教の教会長としてその職務に専念すること)となり、毎日原典の勉強に取り組んでいました。そんな父の姿をみて、私もいつか原典を深く学びたいと考えるようになりました。

 その転機が、私にとっても48歳の時期(とき)に訪れました。ふと、「天理教」という文字が、「天」の「理」の「教え」と分解できることに気づいたのです。「天」とは、天界、大自然、宇宙ともとれる言葉で、「天理教」はまさしく、「自然界(=天)の摂理(=理)を教えてくれる宗教(=教え)である」と思えたのです。この気づきが私にとってこれまでの「天理教」観、さらには世界観を変える契機(きっかけ)となりました。

50代からの第二の人生

 また、この時期は仕事面でも、「このまま同じサイクルで仕事を続けていっても年を重ねるだけではないか、もっと自分らしい生き方はないのか」ということを考えた時期(とき)でもあります。50代を前に「50代からの第二の人生」を強く意識しました。

 このようなわけで、48歳のとき、なにごとにもとらわれず、自由な形で、50代からの第二の人生を生き、「理」の研究をしようと思い立ったのです。 


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